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名古屋高等裁判所 昭和30年(ネ)393号 判決 1957年2月21日

控訴人 被告 杉山利道 外二名

訴訟代理人 若山資雄 外一名

被控訴人 原告 宗教法人医王寺

代表役員 梅村恵岳

訴訟代理人 竹下伝吉

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた外、当審において予備的請求として仮りに第一次請求が容認されないとしても「被控訴人に対し、一、控訴人杉山利道は昭和三十二年四月末日限り別紙第一目録記載土地上にある同目録記載物件を収去してその敷地約二十二坪を、二、控訴人犬飼定男は昭和三十三年七月七日限り別紙第二目録記載の土地上にある同目録記載物件を収去してその敷地約十五坪五合を、三、控訴人宮田義博は昭和三十三年七月末日限り別紙第三目録記載の土地上にある同目録記載の物件を収去してその敷地約十七坪を、それぞれ明渡せ」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は次に附加する外原判決の事実摘示のとおりであるから、ここに引用する。

一、被控訴代理人において。

(イ)  第一次請求について。

(1)  被控訴人が控訴人等に本件土地(別紙第一、二、三、目録記載の建物所在の土地以下同じ)を賃貸するについて所属宗派主管者の承認を得る手続を採つていない。その理由は、住職梅村恵岳が寺院所有地を賃貸するについて所属宗派主管者の承認を要することを知らなかつたからであり、承認を要することを知つたときには控訴人等に対して本件土地を賃貸する意思がなくなつたのでその手続を採らないものであると、当裁判所の釈明に答えた。

(2)  所属宗派主管者が賃貸借を承認しない旨の表示がない限り承認があつたものとする寺院の土地等賃貸借の場合における当地方の事実たる慣習の存在は否認する。又宗派主管者の黙示の承認があつた事実も否認する。被控訴人が罹災前に本件土地を他人に賃貸し同賃貸借が正当に成立していたとしても控訴人等に対する賃貸借契約を正当付ける理由はいささかも存しない。

(3)  仮りに本件賃貸借が民法第六百二条所定の賃貸借として有効であつて借地法第六条の適用があるとしても、被控訴人は控訴人犬飼、同宮田に対し正当の事由に基き遅たいなく異議を述べているから、両控訴人等については契約更新の余地がなく同主張は失当である。即ち、被控訴人は本件土地上に寺院を再建することを最も希望するが資金の関係上不可能であるから本件土地を売却してその資金を得て他に適地を求めんとするものである。本件土地は、坪十万円以上の高価のところであるからこれを売却して再建費二千万円以上の資金を得べく本件土地の売却につき既に宗派主管者の承認を得た。而して両控訴人に対し昭和二十九年一月五日この事実を告げて賃料の受領を拒絶し、次いで同月七日本件訴を提起して継続使用に対して異議を述べている。右は本件賃貸借期間満了時期(控訴人犬飼については昭和二十八年七月七日、控訴人宮田については同年七月頃)より約六ケ月後に異議を述べたことになり、被控訴人の異議陳述に遅滞がなく、しかも正当の事由がある場合に該当する。

(ロ)  予備的請求の原因。

第一次請求が全部失当として容認されず、本件が民法第六百二条の趣旨の賃貸借にして期間更新後の賃貸期間が最大限五年と解せられ、控訴人等は現在適法に本件土地を夫々賃借しているとしても、控訴人杉山については昭和三十二年四月末日に、控訴人犬飼については昭和三十三年七月七日に、控訴人宮田については同年七月末日に、いずれも更新期間が満了する、しかして将来の給付の訴は、可及的速かに給付実現を得る必要がある場合、義務者の態度から予め履行期が到来するも即時履行が期待できないことが明かな場合との二つの要件を要請されるところ、本件の場合はこれに該当するものである。即ち、被控訴寺院の復興は信徒、市民の渇仰するところであり、これが復興計画も詳細に立案され、ただその実行をまつのみでありながら控訴人等の本件土地使用によりその実現を阻まれている。控訴人等の土地明渡なくしては再建計画は一歩も実現できないから控訴人等の可及的速かな土地明渡を要する。ひるがえつて控訴人等の側を見ると、控訴人等は本件土地明渡請求に対して被控訴人の土地売却の必要から早晩明渡さねばならぬこと特に控訴人杉山においては更新期間満了に至ることは熱知の上でありながら何等協力的な態度に出でず控訴人等は更新期間満了するも円滑に明渡請求に応じないことが明らかである。この観点よりすれば控訴人等に対する将来の給付の訴は許容さるべきであると述べた。

二、控訴人代理人において。

(1)  被控訴人が本件土地の賃貸借につき所属宗派主管者の承認を得る手続を採らないこと、採らない理由が被控訴人主張のとおりであることは認める。

(2)  本件土地の賃貸借については、被控訴人の檀信徒総代の同意及び宗派主管者の承認を得ている、原審においては檀信徒総代の同意のみを述べ、宗派主管者の承認を得ている事実について明らかに主張しなかつたが、次の事実を強調してその承認があつたことを主張する。本件土地は被控訴人が堂宇罹災前数十年以前から永年に亘り貸地として第三者に対し建物所有を目的として賃貸し来つたものであり、当地方においては同宗派の寺院は勿論、他宗派の寺院もその境内地若しくは境外地の一部を本件賃貸借と同様の形態において賃貸している事例極めて多いに拘らず、未だ何れの寺院も賃貸借について積極的に書面その他有形的方法によつて宗派主管者の承認を求めた事実はない。寺院を経営又は維持する策として同賃貸借が妥当と認められる以上主管者の異議反対等ある筈のものでなく、従つてこれを黙認の形において承認してきたものである。されば宗派主管者からこれを承認しない旨の表示がない限り承認があつたものとして経過しているのである。このことは当地方において行われて来た寺院の土地等の賃貸の場合における慣習というべき事実である即ち、被控訴人所属の宗派においては寺院所有の土地賃貸借については長期賃貸借と雖も宗派主管者の承認を求めることなく又承認を求める要もない取扱をして来たもので、この慣習は長年に亘り行われてきたものであり、被控訴人及び控訴人等はこの慣習に従う意思であつたから本件賃貸借は有効である。

宗教法人令第十一条の主管者の承認方法については何等の定がなく要は承認と認むべき事実が存在すれば足り、右慣習に従つても寺院財産の保護に欠くるところがない。

若し承認の存在を形式に求めて本件の場合宗派主管者の承認がないと断じ賃貸借を無効とするならば同様形態の他の多くの寺院の土地賃貸借は全て無効となり因て生ずる法律上事実上の混乱は収拾し難い結果となる。又本件土地は永年建物所有を目的として第三者に賃貸され、この賃貸借について檀信徒総代の同意及び宗派主管者の承認が存在したことは否定し得ないところであり、同承認は建物所有を目的とする土地賃貸に対する承認である以上、控訴人等に対する同一土地についての賃貸借に重ねて承認を得る必要がない。土地の賃貸借は堂宇罹災とは何等関係がないことである。

(3)  若し被控訴人が宗派主管者の承認を故意に求めずして本件賃貸借契約を締結し今に到り宗教法人令第十一条に基き無効を主張するは自らの不法、過失を相手方に帰せしめんとするもので、信義誠実の原則に反し法の保護を受けることができない、しかも被控訴人は自らの復興を企図して当初控訴人等に本件土地の買受方を求め代金額に折合がつかず不調となるや他に売却せんとしたが控訴人等使用中のため高価に売却できぬので控訴人等を退去せしめんと企て本訴に及んだものである。被控訴人は現状のままで充分寺院を再建しその使命を果し得るし、数十年来本件土地を第三者に貸与して自己の使命を果して来ていたに拘らず、今にして控訴人等を他に追出さんとするは俗に「俺の言値で買え、然らざれば出て行け」的の動機から出たもので、控訴人等の生命を断つに等しく、本請求は権利の濫用というべきである。

(4)  不幸にして本件賃貸借が長期契約として無効となるならば控訴人等は本件契約締結につき善意無過失であるからその行為をした被控訴人に対し宗教法人令第十一条第三項により契約の履行を求めんとするものである。

(5)  仮りに本件賃貸借が民法第六百二条に基く存続期間五年の賃貸借であり、法定更新により期間の定めなき賃貸借となつたとしても被控訴人の解約申入れには正当の事由がないから解約申入れは無効である。右賃貸借にも借地法の適用があると解すべく、被控訴人は最近の急激な地価の高騰に乗じ本件土地を含めた寺院所有地を一括して更地として売却しようと企図し控訴人等に明渡しを求めるものであるが、他面控訴人側においては本件土地上に建物を所有しこれに居住し店舗を構えて営業に従事し、もつて生活を支えているものであつて、本件借地はまさに控訴人等の生命線ともいうべきものである。彼此の事情を綜合すると本件解約申入れは正当の事由がないものである。

と述べた。

立証として、被控訴代理人は甲第一乃至第十四号証を提出し、原審おける証人吉田宏岳、同横井喜辰、同吉田豊次、並びに被控訴代表者本人梅村恵岳の各供述及鑑定人拓植鉦太郎、同出原源次郎の各鑑定の結果を援用し、当審において証人吉田宏岳の尋問を求め、当審の検証の結果を採用し、乙号各証の成立を認めると述べ、控訴代理人は乙第一号証、同第二号証の一、二、同第三乃至第九号証を提出し、原審における証人横井捨次郎(第一、二回)、織田果阿、並びに控訴人本人杉山利道の各供述及び鑑定人拓植鉦太郎、同出原源次郎の各鑑定の結果を援用し、当審において証人橋昌清、同織田泉阿、同池戸杲智の各尋問を求め、当審の検証の結果を採用し、甲第七、九、十号証は不知と答えた外爾余の甲号各証の成立を認めた。

当裁判所は職権をもつて被控訴代表者本人梅村恵岳を尋問した。

理由

被控訴人が真言宗豊山派に属する寺院にして当時施行の宗教法人令に基き昭和二十一年六月二十七日その旨の登記を経、宗教法人法の施行に伴い昭和二十八年八月四日同登記を経たこと、本件土地が被控訴人の所有に属し同人所有にかかる従前の土地名古屋市中区袋町三丁目九番地寺院境内地百八十坪、同十二番の三寺院境内地五坪、同十二番の四寺院境内地五坪、同八番宅地五十六坪九合、同十一番宅地五十坪四合七勺合計二百九十七坪三合七勺に対して名古屋市から特別都市計画の実施に伴う仮使用地として従前の土地を減歩して名古屋市中工区1~26E(26)寺院境内地二百十坪一合五勺、1~26E(25)宅地七十二坪一合四勺、合計二百八十二坪二合九勺(間口約十二間四分奥行約二十一間三分の長方形の一団地)の指定を受けた土地の一部であること、そして同仮使用地中道路に面した部分(但しその区画坪数に争あり)を被控訴人住職梅村恵岳が控訴人杉山に対しては昭和二十二年四月頃、控訴人犬飼に対しては昭和二十三年七月七日、控訴人宮田に対しては同年七月頃それぞれ賃貸し、同控訴人等は各右土地上に被控訴人主張の如くそれぞれ第一、二、三目録記載の建物を所有し同土地を占有すること及び右賃貸借契約には期間の定めがないこと等については当事者間に争のない事実又は認定し得る事実であることは原判決理由説示と同一である。よつて同関係部分を引用する。

而して、被控訴代表者本人梅村恵岳の原審並びに当審の供述及び当審の検証の結果によると本件土地と略同一地上に罹災前被控訴人所有の建物が存在し梅村恵岳の先々代住職当時より第三者に賃貸して来たところ戦災により堂宇と共に一切鳥有に帰し、住職梅村恵岳は昭和二十一年九月頃建坪十一坪のバラツク仮堂を元境内地に建てたが医王寺再建の方途も見通しもつかずにいた矢先控訴人等より元貸家が存在した土地の賃借方申出でがあつたので、前示の如くそれぞれ賃借した。賃貸地は初め控訴人杉山に対しては、別紙目録第一、控訴人犬飼に対しては同第二、控訴人宮田に対しては同第三記載の場所について各十五坪位宛であつたが昭和二十四、五年頃裏側の土地を貸し増して現在のように控訴人杉山は罹災前の境内地別紙目録第一記載の土地約二十二坪を控訴人宮田は罹災前の境外地同第二記載の土地約十五坪五合を、控訴人犬飼は罹災前の境外地と境内地に跨る部分同第三記載の土地約十七坪を各賃借占有するに至つた、仮使用地については未整理であつて境内地境外地の区別を識別し難いが右賃貸部分を除いた分の土地には仮堂が存在し通路約十一尺をもつて本道より仮堂の存在する在地に通じ仮堂前(南)には広範な空地があるので本件土地の賃貸借は医王寺の再建復興にいささかの妨げとならないことが認められる。

そして右賃貸借は建物の所有を目的とし借地法第二条により存続期間三十年と看倣されることは被控訴人自ら主張するところである。

されば、梅村恵岳と控訴人等間の右賃貸借契約は、被控訴人と控訴人等間に存続期間を三十年とする建物所有を目的とする賃貸借が締結されたことになる。

然るところ、被控訴人は建物所有を目的とする賃貸借については宗教法人令(契約当時施行)第十一条に基き檀信徒総代の同意及び所属宗派主管者の承認を受くべきであるのに、本件契約にはこれがないから無効であると主張し、控訴人等はこれを争うのでこの点について判断する。

建物所有を目的とする土地の賃貸借にして存続期間三十年に亘る場合は、賃借人が長期間その土地の使用収益をなすことになつて、土地所有者はこれがためにその間自己の所有権を制限され恰も所有権の一部を喪つたと同一の結果を来すので、宗教法人令第十一条が寺院財産の保護を目的とする規定であることに顧みれば、不動産の売却、抵当権の設定と同様、同条にいう不動産処分に該当し、又右賃貸借についても同条に準拠することを要するものと解する。又本件仮使用地については境内地境外地の区別を識別し難いことは、前示のとおりであるけれども、同令第十一条は境外地境内地に差等を設けていないからいずれを処分する場合にも同条の適用があると解すべきである。従つて、これに反する控訴人等の主張は採用することができない。

よつて進んで、先ず檀信徒総代の同意の点を見よう。

原審証人横井捨次郎(第一、二回)、原審証人横井喜辰、原審並びに当審における被控訴人法定代理人本人梅村恵岳の各供述を綜合すると、本件賃貸借契約当時の被控訴人の檀信徒総代は横井捨次郎、横井喜辰、伊藤悦三の三名であつたが、住職梅村恵岳は戦争後生活に困つて右総代等の同意を得ずに本件土地を控訴人等に賃貸した後、昭和二十六年十月頃医王寺を右賃貸した部分を除いた袋地に再建しようと計画し同総代等に諮つたところ、総代等から総代の同意を得ないで賃貸したことを詰問され、生活に困つて賃貸したことを陳謝しその了解を求め、本件賃貸借につき総代全員の同意を得た上、医王寺の再建案として賃借地を賃借人等に売渡して再建資金の一部を調達し、一方賃料の増額をも求めることにしてその交渉を横井捨次郎に委任し、同人がその頃控訴人等に対し賃借地の買受方と賃料の値上とを要求した事実が認定される。この事実によつて見れば、被控訴人の檀信徒総代全員が昭和二十六年十月頃本件土地に関する賃貸借に同意を与えたものであり、その同意には法律上、契約上の終期がないから同意を与えると同時に適法なる檀信徒総代の同意があつたというべきである。

次に宗派主管者の承認の点について考察する。

被控訴人が本件賃貸借について所属宗派主管者の承認を得る手続を採つていないこと、住職梅村恵岳が寺院所有地を賃貸するには宗派主管者の承認を要することを知らないのでその手続を採らなかつたものであり、承認を要することを知つたときには控訴人等に対して本件土地を賃貸する意思がなくなつたためであること等は当事者間に争がない。

然るところ、控訴人は寺院が建物所有を目的として所有地を賃貸するに際し積極的に書面その他有形的方法によつて宗派主管者の承認を求めた事例がなく、寺院を経営又は維持する策として同賃貸借が妥当と認められる以上主管者の異議反対等ある筈がない。徒つて宗派主管者からこれを承認しない旨反対の表示がない限り黙認の形において承認があつたことになる。このことは当地方において行われて来た寺院の土地等の賃貸借の場合における事実たる慣習であり契約当事者がこれに従う意思であつたから宗派主管者の承認を受けたものとして有効である。と主張し、当審証人鴾昌清、同池戸杲智の供述によれば、真言宗豊山派宗務所が同宗派の事務を主管とするものであるところ、同宗務総長は宗教法人令第十一条の「不動産の処分」中に賃貸借を包含しないと解釈し、同宗規にも「不動産を処分するときは主管者の承認を要する」旨の規定が存するけれども、同宗派寺院から不動産の賃貸借について宗務所に対し承認を求めて来た事例がなく、承認を求めて来ないのが普通とされている事由が明認される。

しかしながら、同宗派宗務所の右解釈が誤解であることは前段説示のとおりであるから、宗務総長が右の様に誤つて解釈し、かつて不動産の賃貸借について承認を求めて来た事例がないとしても、右の取扱は強行法規に反するので賃貸借契約が承認を得ずして有効となるものではない。寺院住職が宗教法人令第十一条違反を理由として無効を主張しないから問題を提供しなかつただけのことである。同宗派主管者において右の如く解し不動産賃貸借について承認を要しないものとして取扱う慣習があり当事者もこれに従う意思であつたとしても、右法条が任意規定でないから当事者の意思によつて左右されないことは当然である。又主管者の承認は書類による形式を整える必要がなく黙示の方式にて足ることは勿論であるが「主管者の承認」という形式が要請される点から考えると、主管者において寺院から何等の申請がないのに自ら進んで承認を与える性質のものでなく、寺院からの申請をまつてこれを審査した後主管者が適否を判断して申請を承認する順序形式をとるものであることは、絮説を要しない、主管者が凡百の末寺における不動産の処分を常に洩れなく調査し得るものでなく、その要もない点と同法令の精神とに鑑み自明である。従つて、寺院から承認の手続を採らないのに、宗派主管者において不動産賃貸借を承認しない旨反対の表示がない限り黙示の承認があり、本件賃貸借についても所属宗派主管者より反対の表示がないから黙示の承認があつたと主張する点は採用の限りでなく、事実たる慣習に関する主張と共にいずれも理由がない。

本件土地上に罹災前被控訴人所有の建物が存在し永年第三者に賃貸して来たことは前認定のとおりであるけれども、この事実をもつて直ちに本件土地の賃貸借につき檀信徒総代の同意及び宗派主管者の承認があつたことになり、重ねて主管者の承認を要しない事由とはならない。成程宗教法人令第十一条が不動産の処分につき主管者の承認を要請した目的が寺院所有財産の保護にあるから、主管者が一旦賃貸借について承認を与えた以上該不動産の処分については承認済であつて後日その賃借人に交替があつても改めて承認を要せず、住職、檀信徒総代の自治に委ねても法の精神に反しないであろうし、改めて承認を求めても当然承認を与うべき筋合であるから無意味の申請に帰し、控訴人等の主張は一応理由あるように見える。しかし、本件の場合に右の理屈をそのままうつし、罹災前の被控訴人所有の建物賃貸借が有効であつたから本件土地の賃貸借も主管者の承認なくして有効であるということはできない。何となれば、戦災によつて右貸家、寺院一切が烏有に帰し、被控訴人所有の一団地が何等の負担なき更地となつた後住職もその一部である本件土地上に賃貸借を設定する場合であつて、新な賃貸借契約と少しも異るところがないからである。また罹災前の建物賃貸借が法律上有効であつた事実についての証拠も存しない。

何れの点から見ても、本件賃貸借について所属宗派主管者の承認を得ていないことになる。

そこで、契約当事者間における本件賃貸借の効力について考え、併せて被控訴人が本件賃貸借について所属宗派主管者の承認を得る手続を採ることなくして、その承認がないから、宗教法人令第十一条に違反し無効であると主張することが信義則に反し又は権利の濫用に該当する旨の控訴人の主張について当裁判所の判断を示す。

被控訴人の住職梅村恵岳が本件賃貸借当時、所属宗派主管者の承認を要することを知らなかつたこと、当該責任の衝に当る宗務総長すらこれを承知していなかつたことは前示のとおりであるから梅村恵岳が予め主管者の承認を得ずして契約を締結したことを責めるわけにはいかない。寺院関係者が承知していないことであるから一般大衆である控訴人等においてこれを知らないことを尚更責めることができない。外に証拠がないので、控訴人等はこの点について善意無過失であつたというべきである。しかしながら、右の事情があるにせよ、主管者の承認を得ないことには変りがなく、強行法規を無視し得ないので本件賃貸借を無効といわざるを得ない。無効であれば何人からもこれを主張し得べき筋合であるけれども、本件の場合は被控訴人から控訴人に対しこれが無効を主張し得ないと考える。何となれば、本件賃貸借については未だ主管者の承認を得る手続を採つていないのであるから、その承認を得るか否か未定の状態に在り、主管者の承認がなければ無効たることを知つた今日においては速かにその手続を採るべき義務があるのみでなく主管者の承認手続は寺院の恣意によつて自己の便宜に使い分けを許す趣旨の規定ではないからである。

従つて被控訴人は所属宗派主管者(宗務総長)に対し承認手続を採るべきであり、主管者より承認或は不承認の意思表示がある迄本件賃貸借は未確定の状態にあつて、承認があればそのときから有効となり、不承認となれば終局的に無効となるものである。主管者の承認手続について終期がないから今からその手続を採つても遅くはないしこれを採るべき義務があるものと解する。被控訴人にこの義務あることは宗教法人令第十一条第三項からも窺えるし、誠実なるべき契約当事者として当然要求さるべき責務でもある。

主管者も亦寺院が寺有地を一括処分しその再建を危殆に陥れたような場合でない限り、本件の如く従前の貸家が存在した土地を賃貸し、同賃貸借が寺院再建にいささかの妨げとならない場合であれば事情の許す限り承認を与えて善意無過失の第三者に不測の損害を及ぼさない慈悲と寛容とが要求される。

右の法理は宗教法人令に基く旧宗教法人たる被控訴人について言い得るだけでなく、被控訴人が宗教法人法に基き昭和二十八年八月四日所定の登記を経由し新宗教法人となつた今日においてもそのまま当てはめ得るものである。即ち、宗教法人法第十九条、第二十三条同法附則第十八項甲第三、五号証(特に甲第三号証第十九条)によつて見ると、旧宗教法人は新宗教法人の設立と同時に解散したが新宗教法人は当然旧宗教法人の右義務を承継しているから新宗教法人たる被控訴人の責任において本件賃貸借を確定せしむべきであり新宗教法人たる被控訴人の事務処理方法の規則によれば、宗派の代表役員の承認を受けた後行為の一ケ月前に信者利害関係人に対し行為の要旨を公告しなければならないことが明瞭である以上、新宗教法人たる被控訴人については前説示の所属宗派主管者の承認とあるを宗派の代表役員の承認と読み替えるのみで足りるからである。

そうだとすれば、被控訴人は所属宗派主管者(宗派の代表役員)に対し承認手続を採ることなくして、その承認なきことを理由として控訴人に対し無効を主張して本件土地の明渡を請求し得ないというべきである。

更に進んで、前顕証拠に前示梅村恵岳の供述によつて成立を認め得る甲第七、十号証を綜合すると次の事実が認定される。被控訴人の住職梅村恵岳は檀信徒総代等と昭和二十六年十月頃医王寺の復興再建を協議した結果、先ず控訴人等に賃貸してある部分を拡げて約三十坪宛にして同人等に値よく売渡し、これを再建資金の一部に充て残りの袋地に堂宇を建立しようとして檀信徒総代横井捨次郎をして控訴人等との交渉に当らせたところ、値段の点で折り合わず実現するに至らずして昭和二十七年五、六月頃第一案を断念せざるを得なくなつた。第二案として、本件土地を含む全寺有地を一括して売却処分し他に安価な土地を求めて再建することを計画し、昭和二十八年六月八日寺有地一括処分について宗派代表役員の承認を求め同年九月十日その承認を得、その間同年八月二十七日訴外田中勇夫に対し右土地を金千二百万円にて売渡す契約をなし、売渡約条の一として、被控訴人の責任において本件土地を明渡して買受人に引渡すべきことを約した。そこで被控訴人は控訴人等に対し強く本件土地の明渡を求め、控訴人等において容易にこれに応ずる気配がないと見るや、主管者の承認を得ていないから無効であると主張して本訴に及んだものである。一方控訴人等は適法に建物所有を目的とする賃貸借が成立したと信じ同地上に別紙目録記載の如く建物を築造所有し、同所に居住して各自営業を営んでいるものである。

右認定事実を前段説示の事実とによつて見れば、被控訴人は本件土地を除外した残りの寺有地に十分堂宇を建設し得る余地を持ち、且つ本道からの通路も整然としていて、本件賃貸借の存在は医王寺再建の妨げとなつていないに拘らず、再建資金調達の便宜上寺有地を一括処分すべく計画し、道路に面した本件土地の明渡しを求めて一団の更地として処分する方が高価に売却できるとの一方的の利慾から控訴人等の犠牲においてその目的を実現しようというに憚らない。

もし被控訴人の請求が許容されるとすれば全く住職梅村恵岳或はこれを取りまく者の恣意によつて宗教法人令(並びに宗教法人法)が悪用された結果となろう、かかる所為は宗教法人法規の精神をじゆうりんするものというべきである。しかも善意無過失の控訴人等には契約存続を破壊すべき何等の不信行為がなくして明渡しを強要されることになる。これが許されないことは自明であろう。被控訴人の請求こそまさに契約当事者としての信義に反し、権利の濫用に該当するというべきである。

以上二つの理由から被控訴人の本訴請求は爾余の判断を俟つまでもなく既に失当であり、この点において棄却を免れない。

原判決はこれを看過し、たやすく被控訴人の請求を認容したのは不当であるから取消すべきものとする。

よつて民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第八十九条に従つて主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 北野孝一 裁判官 大友要助 裁判官 吉田彰)

(別紙)

第一目録

登記簿上旧名古屋市中区袋町三丁目十一番地その他に対する仮使用地

名古屋市中工区1~26Eの二十五ブロツク

同地上建物家屋番号第一番

一、木造瓦葺平屋建店舗建坪十坪

一、木造瓦葺二階建店舗建坪十五坪八合四勺及び二階十二坪

一、木造瓦葺平屋建物置

一、右に接続する木造トタン葺バラツク建車庫建坪約二合四勺同仮使用地下工作物

一、木造瓦葺二階建店舗附属地下貯蔵室

右敷地約二十二坪

第二目録

登記簿上旧名古屋市中区袋町三丁目十一番その他に対する仮使用地

名古屋市中工区1~26Eの二十五及二十六ブロツク

同地上建物家屋番号第七番

一、木造亜鉛メツキ鋼板葺平屋建居宅建坪十二坪一合

一、右附属南側建増井戸差卸約六合八勺及び吸上式ポンプ井戸

一、同西側建増約一坪六合

右敷地十五坪五合

第三目録

登記簿上旧名古屋市中区袋町三丁目八番地その他に対する仮使用地

名古屋市中工区1~26Eの二十六ブロツク

同地上建物家屋番号第七番の二

一、木造瓦葺二階建店舗建坪十坪外二階七坪五合

一、同建物東側建増木造瓦葺平屋建居宅兼店舗建坪約三坪四合

右敷地約十七坪

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